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仏教の「空」とは?

「空」とは

この世のすべてには「実体」となる、何かしらの中心核、主軸、個別性などは
一切存在しない。という事実を示してる言葉。だからこそ「空」の文字で表記する

それは例えば「魂」なんてオカルトのものは無く、また個人の確固たる「自我」とか
「これが私だ」などという、実体は、初めから一切存在していない。ということ

 

「空」を理解すれば、悟りだ

それは頭で、言葉の解釈として理解するだけではなく、体感として知覚できれば完璧
それを知覚できた俺が、一番分かり易く説明するならば「この世のすべては環境」だ

外の環境、部屋の中の環境、それだけが環境ではなく、人間も動物も植物もすべてが
「環境」でしかなく、医学的な意味での「生」という、生態機能はあれども
そこに実体となるものなど一切無いので、生きとし生けるものすべてが「環境」

この世には、実体の有無という意味では「ただの一匹すら生き物は存在していない」
これが「事実」であり「現実」であり「真理」であり、それを知るのが「悟り」だ

 

「空」を理解する上での喩え話しに「ラッキョや玉ねぎの皮剥き」がある

例えば、玉ねぎは、生物学的には、植物の球根として「生あるもの」と定義されるが
玉ねぎの茶色い皮を剥くと、また白い皮が出てくる。それは人間にとって可食部だが
皮は皮である。そしてそれを剥くと、また皮が出てきて、最後まで剥くと何も残らない
「芯」など存在していないし、玉ねぎには魂もなく、自我もない。要するに「環境」だ

これと同じように、人間の皮をすべて剥ぎ、肉をすべて削ぎ落とし、頭蓋を割って
脳ミソを取り出し、骨を残して、すべて分けたとする。さて、それらの何処が
「その人」だと言える部分があるだろうか?そんな部分は一切無い。すべて揃って
やっとその人が、生態機能を維持できていた訳だが、魂や、これが私と言える自我は
その何処にも実体として存在しうるものではなく、人体という「環境」だっただけ

人間がどんなに多感的で、感情豊かな表現や、複雑怪奇な思考ができようとも
それらは単なる「環境に備わった機能」でしかなく、よって人間は「生き物ではない」

これが現実だよ、と教えているのが「空」だ

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