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愛とはなんだ?愛とは心の壁をすり抜けるものそしてそれを受け入れるもの

愛が付くもの

愛娘、愛着、愛情、愛人、愛息…

とにかく好きでたまらないもの?

なぜか手放せないもの?

愛とはなんなのだろうか。私に愛はあるのだろうか?

少し考えてみた。

愛は人に向けられることが多いが、愛車など物にも愛が向けられることがある。

わたしにも多少なりとも愛着があるものに固執することがある。

 

いわゆるブランケット症候群のようなものなのだろうか。

 

ブランケット症候群とは?

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ブランケット症候群というのは、乳離れ時期の幼児によく見られるもので、ブランケットを始めとした毛布やぬいぐるみ、タオル(タオルケット)といった特定のアイテムに対して執着し、肌身離さず持ち歩いたり、ニオイを嗅いだりする依存症の一種です。

スヌーピーに登場するライナス君が常に青い毛布を持ち歩いていることから症状のことを『ライナス症候群』、『ライナス毛布』や『安心毛布』と呼ばれることもあります。

 

ブランケット症候群とはどんなもの?|依存症状・原因・解決法等

 

1人で旅行した際に購入したぬいぐるみやお気に入りのブランケットなどなぜか手放せないものがある。

これがいわゆる愛なのだろうか?

手放したく無い、ずっと一緒にいたいという気持ちが愛?

私はこの愛に違和感を感じる。人に向けられる愛と物に向けられる愛は別の感情のような気がするのだ。

愛娘、愛息そして愛人

人物に愛が付く言葉はこの三つが挙げられる。

愛する異性が愛人、愛する娘が愛娘、愛する息子が愛息と呼ばれる。

簡単に言ってしまえば、家族だ。

元来より人間が愛するものは伴侶と子供と相場が決まっている。

自らの血を分けた子供は愛おしくて仕方ないはずだ。なぜならその子供は半分自分なのだから。自分が可愛く無い人間などいない。人は誰しも自己愛を持って生まれてくるはずだ。でなければ、心の壁が融解してしまう。自分を愛しているからこそ、自分の子供を愛することができる。

しかし、愛人はどうだろうか?愛人は自分の血など入ってはいない赤の他人だ。

他人を好きになるってどういうこと?

同性愛の場合は愛する同性でも愛人と呼ぶことにしよう。

この愛人とは詰まる所他人である。他人を好きになるとはどういうことなのか。

自分の血縁者でも無い、全く無関係の他人である。しかし、愛おしく、愛してやまない存在となる。

不思議すぎる。どうして他人を愛せるのか。好きになるのはわかる。面白い人であれば側にいれば楽しませてくれる。だから好きになるという理屈は簡単だ。

しかし、好きになったからと言って接吻をしたくなったりはしない。側には居たいが、自らの境界線上を超えて入ることには嫌悪感がある。

愛している場合には、いくら自分の領域に入り込まれても不快感を感じないのだ。

愛しているとは性欲のことなのか?いや、違う。自らの子供に発情したりはしないだろう。

だとしたら、愛しているとは一体なんのことなのだろうか?

愛とは心の壁をすり抜けること、すり抜けを許すこと

愛とは心の壁をすり抜けるものなのかもしれない。また、それを容認することであるのかもしれない。

いわゆるパーソナルスペースだ。

 

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パーソナルスペース(英:personal-space)とは、他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、パーソナルエリア、対人距離とも呼ばれる。一般に女性よりも男性の方がこの空間は広いとされているが、社会文化や民族、個人の性格やその相手によっても差がある。

一般に、親密な相手ほどパーソナルスペースは狭く(ある程度近付いても不快さを感じない)、逆に敵視している相手に対しては広い。相手によっては(ストーカー等)距離に関わらず視認できるだけで不快に感じるケースもある。

パーソナルスペース - Wikipedia

 

エヴァンゲリオンで言うところのATフィールドか。

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ATフィールドとは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する特殊能力(バリア)である。 正式名称はAbsolute Terror FIELD(絶対恐怖領域)。 作中では『A.T. フィールド』と表記されていた。

ATフィールドとは (エーティーフィールドとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

この壁をすり抜けられるものが唯一ある。それが「愛」だ。

見ず知らずの人が急にキスしようとしてきたら多くの人は拒絶するだろう。

だって気持ち悪いもの。自分が破壊されるかもしれない恐怖感を人間は本能的に感じている。野生下では食い殺されるかもしれないのだ。

その不快感を感じさせない、感じさせなくするものが愛なのかもしれない。

この心の壁を超えて別の心が触れ合うことで、人は初めて他人を受け入れられるようになる。

この壁をすり抜け相手に触れたいと言う思いが「愛」であり、反対に相手からの侵入を許すのも「愛」なのだ。

そう、愛には二つの形がある。すり抜ける側と、受け入れる側。

これが「愛」なのかもしれない。

私の心の壁…

この壁を超えた人は私に愛情を注いでくれる人で、私はそれ受け入れ、相手にも愛を与えなければならなかったのかもしれない。

しかし、私は愛を与えられなかった。

反対に、愛を与えても拒絶されてしまう。

この二つが成り立たなければ本当の愛は成立しないのかもしれない。

だとすると、私は今だに愛を知らない。

せっかく生まれたのだから、全てのことを経験したいと思っているが、こればかりは私1人で体験できるものでもなさそうだ。

愛とは何かを考えてみたが、意外に単純で、奥の深い概念であるような気がした。

こんなふわふわしたものでも人間は愛を欲するのだから、恐ろしいものである。

ようこそ!名無し文学部へ
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