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令和の始まり一体どんな始まりだったのか?

平成の世が終わり、日本は新たに、令和の時代へと移行しました。記念すべき令和元年の初日は曇り時々雨。

東京各地には日本の国家が掲げられ、新たな天皇の即位を祝していました。

新宿駅付近

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新宿駅バスタ新宿付近の様子

「奉祝 天皇陛下御即位」と書かれた旗が街頭に垂れ下がります。

東京駅

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東京駅では盛大に天皇陛下御即位を祝していました。

辺りは、警察庁の警備がなされています。

皇居前

令和元年初日を迎える皇居には多数の報道陣がいました。

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7時でも新たな時代の幕開けにざわざわとした空気が漂います。

令和という新たな時代の幕開けに、多くの方々に朝早くから皇居前には集まっていました。

私もその一人です。

令和の誕生によって日本はこうなった

令和の誕生日により、様々な状態になりました。令和の誕生でどのようになったのか、紹介していきます。

【86年ぶり皇太子不在に】

天皇陛下即位に伴い、天皇の直系男子が就く「皇太子」の地位は86年ぶりに空位となりました。秋篠宮さまは皇位継承順位1位の皇嗣ですが、新天皇陛下の弟であるため皇太子にはなりません。

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天皇陛下の即位に伴い、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の「皇嗣」に就かれた。2位は秋篠宮さまの長男、悠仁さま、3位は上皇さまの弟の常陸宮さまとなった。政府は秋篠宮さまの正式な敬称を「秋篠宮皇嗣殿下」とした。

天皇の直系男子が就く「皇太子」は86年ぶりに空位となった。直近で皇太子が不在だったのは、昭和天皇の即位後、1933年12月に上皇さまが誕生されるまでの約7年間。

【59歳2カ月】新天皇陛下、歴代2番目の高齢即位

新天皇陛下が歴代2番目の高齢即位 明治から昭和は若い年齢が続く - ライブドアニュース

天皇陛下は59歳2カ月で皇位につかれ、歴代2番目の高齢での即位となった
最高齢は光仁天皇の60歳11カ月で、3番目は4月に退位された上皇さまの55歳
14歳で即位された明治天皇から昭和天皇にかけては若い年齢での即位が続いた

 

生年月日の記録が残る8世紀後半以降では、60歳11カ月で就任した奈良時代光仁天皇が最高齢だという。

 

天皇陛下は59歳2か月で即位された。

 生年月日の記録が残る8世紀後半以降の天皇では、2番目に高齢での即位となる。

 歴代天皇・年号事典を編修した米田雄介・神戸女子大名誉教授によると、奈良時代の49代光仁(こうにん)天皇(在位770~81年)以降は、数人の天皇を除いて生年月日まで記録が残り、満年齢がわかる。

 即位時の最高齢は光仁天皇の60歳11か月。3番目は平成の天皇陛下で55歳、4番目に平安時代の光孝(こうこう)天皇(同884~87年)の54歳が続く。

 
明治~昭和 若く

 明治以降は、明治天皇が14歳、大正天皇が32歳、昭和天皇が25歳と比較的若い年齢での即位が続いた。

 一方、上皇になった年齢でみると、平成の天皇陛下の85歳が最高齢だ。次いで光仁天皇の71歳、戦国時代の正親(おおぎ)町(まち)天皇(同1557~86年)の69歳と続く。光仁天皇は僧侶・道鏡らによる政治混乱を収束させ、正親町天皇織田信長豊臣秀吉ら時の権力者の力を借りて御所の修理などに力を入れたことで知られる。米田名誉教授は「激動の時代に、高齢になるまで第一線で公務にあたったという点で共通する」と話す。

在位30年超 10人

 平成の天皇陛下の在位期間(30年3か月)は、信頼性の高い記録が残る推古天皇以降(南北朝時代北朝を含む)で、10番目の長さだ。在位期間が30年を超えたのは10人で、最長は昭和天皇の62年。2番目は明治天皇の45年で、江戸時代に朝廷の権威復興に努めた光格天皇の37年と続いている。

 代替わりに伴い、新天皇陛下の弟の秋篠宮さまが皇太子待遇の皇嗣(こうし)となられた。米田名誉教授によると、南北朝から江戸時代前期までは皇太子が立てられない時期が続き、兄が天皇、弟が皇太子という確かな例は、鎌倉時代の後深草(ごふかくさ)天皇(在位1246~59年)の時代まで遡るという。
 

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天皇、皇后ご夫妻「仙洞仮御所」へお引っ越し

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上皇上皇后となった前天皇、皇后ご夫妻は、時期をみて現在住む皇居・御所を離れ、東京都港区の「仙洞(せんとう)仮御所」(現高輪皇族邸)へ、お引っ越しする。

 
同所は、東京・元赤坂の東宮御所(即位後は赤坂御所と改称)のバリアフリー工事などが終わるまでの仮住まいで、最長1年半程度をここで過ごす。赤坂御所は改修後に「仙洞御所」となり、ご夫妻は若い頃に子育てをした思い出の場所に戻ることになる。

ご夫妻は今後、知人と会ったり、音楽や読書を楽しんだりして穏やかな日々を過ごしながら、国と人々への祈りも続けていくという。仙洞仮御所の庭は手狭で、日課の散策もできないため、移住後もご夫妻は皇居内の庭園・東御苑を訪れる予定。前陛下はハゼ研究の拠点である生物学研究所にも足を運ぶ予定だ。

 
 前天皇、皇后ご夫妻「仙洞仮御所」へお引っ越し - 社会 : 日刊スポーツ

 

天皇、皇后両陛下はどんな方?

きょう5月1日に第126代天皇として即位された天皇陛下と、皇后陛下

お二人の学歴、出会い、研究内容、趣味、また、天皇陛下のさまざまな「初」

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天皇陛下

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お名前​
徳仁(なるひと)​
お誕生日
昭和35年2月23日​​
ご称号​
浩宮(ひろのみや)
総裁職など​
日本赤十字社 名誉副総裁
ご学歴など
昭和57年 学習院大学文学部史学科ご卒業​
昭和58年~昭和60年 英国:オックスフォード大学マートンコレッジご修学​​
昭和63年 学習院大学大学院人文科学研究​科博士前期課程ご修了​​
平成4年~ 学習院大学史料館 客員研究員​

出典:宮内庁ホームページ
(http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history02.html)

2019年5月1日に第126代天皇として即位された天皇陛下にはさまざまな「初」があります。
天皇陛下のさまざまな「初」

戦後生まれ(近代皇室では戦争を体験していない初の天皇
大学、大学院を卒業、修了している。また、オックスフォード大学に留学経験がある
誕生時から両親のもとで育った。
上皇陛下は生まれたときから皇太子でしたが、天皇陛下は28歳まで皇孫(昭和天皇の孫)として比較的自由に過ごされたため、学業にも多くの時間をかけることができました。

また天皇陛下は“水”について研究されています。学生時代は水上交通について研究されていましたが、その後、飲料水から水害まで、人類と水との関係全般にテーマを広げていかれました。国連の「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁(2007〜2015年)にも就かれ、国内外で講演などの活動をされています。即位後もこの研究や活動は続けていかれるでしょう。ほかにも、テニス、登山、ジョギング、ビオラ演奏など幅広い趣味をお持ちです。

皇后陛下

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お名前​
雅子(まさこ)​​
お続柄
小和田恆(おわだひさし)氏第1女子​​​
お誕生日​
昭和38年12月9日​​
総裁職など​​
日本赤十字社 名誉副総裁
ご学歴など​
昭和60年 米国:ハーバード大学経済学部ご卒業​
昭和62年 東京大学ご中退​
昭和62年 外務省ご入省​​​
昭和63年~平成2年 英国:オックスフォード大学ベーリオールコレッジご留学​​​​
平成5年 外務省ご退職​

出典:宮内庁ホームページ(http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history02.html


皇后陛下は幼少期からソ連、スイス、米国と長く海外で生活されました。ハーバード大学を卒業後、東京大学への学士入学を経て、外務省に入省。入省後、天皇陛下と同じオックスフォード大学に留学されています。

1986年10月、来日したスペイン王女の歓迎レセプションで天皇陛下と運命の出会いをされました。1993年に結婚されましたが、お世継ぎを産んでほしいという周囲の大きな期待や、皇室という慣れない環境から適応障害を患われ、現在、その療養期間は15年に及んでいます。


即位に関する儀式については平成の諸儀式を踏襲することになっています。即位の日(2019年5月1日)と「即位礼正殿の儀」当日(2019年10月22日)は祝日になります。

【新天皇陛下のおことば】

日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望致します。」

天皇の退位、皇太子の即位に関する儀式など

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儀式の解説

天皇陛下御即位には様々な儀式があります。それらの儀式を時間軸に沿って紹介します。

剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)

2019年5月1日
天皇が即位当日、皇位の証しである三種の神器のうち剣と璽(じ= まがたま)、御璽(ぎょじ=公務で使う天皇の印)、国璽(こくじ=国の印)を承継する儀式です。
この儀式には皇后など女性皇族は参列しません。宮殿「松の間」に天皇と男性皇族が入室し、侍従が剣、璽、御璽、国璽を新天皇の前の机の上に置きます(残る神器の鏡は皇居内の賢所<かしこどころ=天照大神が祀られている建物>から動かしません)。その後、天皇剣璽などとともに退室します。
平成のときは、内閣総理大臣、閣僚、衆参の議長、最高裁長官など26人が参列し、5分程度で終わりました。


皇位を継承し「剣璽等承継の儀」に臨まれた上皇陛下=1989年1月、皇居・宮殿「松の間」


即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)

2019年5月1日
天皇が即位後初めて公式に国民の代表と会う儀式です。平成のときは即位の翌々日でしたが、今度の即位日は事前に決まっているので、即位当日に行われます。宮殿「松の間」に天皇と皇后が他の皇族とともに入室し、天皇のおことばがあり、そのあと参列者を代表して内閣総理大臣の奉答があります。
平成のときは、内閣総理大臣、閣僚、衆参の議長、最高裁長官、国会議員若干名、知事の代表、市町村長の代表など135人とその配偶者108人の計243人が参列し、7分ほどで終わりました。


即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)

2019年10月22日
天皇が即位を宣言する儀式です。天皇は宮殿「松の間」に置かれた高御座(たかみくら)という高さ6.5メートルの御座に黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という天皇だけが着ることのできる装束姿で昇ります。 皇后は高御座より一回り小さい御帳台にいわゆる十二単姿で昇ります。天皇の宣言に続いて内閣総理大臣がお祝いを述べ、そのあと「天皇陛下万歳」の音頭を取り、参列者が万歳を三唱します
平成のときは

外国の元首や国内の代表など2223人が参列し、30分ほどで終わりました。


内外に即位を公に示す「即位礼正殿の儀」。天皇は高御座(たかみくら)、皇后は御帳台(みちょうだい)で儀式に臨む=1990年11月12日、皇居・宮殿「松の間」


祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)

2019年10月22日
「即位礼正殿の儀」当日に行われる天皇、皇后のパレードです。天皇は燕尾服、皇后はドレスという洋装です。
平成のときは

ロールスロイスのオープンカーが使用され、皇居から赤坂御用地までの4.7キロを30分ほどかけてパレードされました。沿道から約11万7000人の人々が即位を祝福しました。


パレードに出発された上皇上皇后両陛下=1990年11月、皇居・宮殿前


饗宴の儀(きょうえんのぎ)

2019年10月22日以降
即位を祝う披露宴で、宮殿で行われます。「即位礼正殿の儀」に参列した外国の元首や駐日大使、三権の長、国会議員、各界の代表者などが招かれます。
平成のときは

4日間、7回にわたって行われ、合計で約2900人が出席しました。


「饗宴の儀」で参列者と歓談された上皇陛下= 1990年11月、東京・皇居・宮殿「豊明殿


大嘗祭(だいじょうさい)

2019年11月14日〜15日
即位後初めて行われる新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭という特別な儀式として行います。大嘗祭は長い天皇の歴史の中で御代替わりに伴うもっとも重要な儀式とも言われています。 新穀を皇祖及び天神地祇(てんじんちぎ)に供え、天皇自らも食し、国家・国民の安寧と五穀豊穣などを感謝、祈念します。 政教分離の原則に則って、大嘗祭は皇室行事として行われます。
14日夜に「悠紀殿供饌の儀」(ゆきでんきょうせんのぎ)、日付が変わった15日の深夜から未明にかけて「主基殿供饌の儀」(すきでんきょうせんのぎ)が行われます。
平成のときは

「悠紀殿供饌の儀」に内閣総理大臣、衆参の議長、最高裁長官、知事の代表、市町村長の代表、国会議員、各界の代表など733人が参列しました(「主基殿供饌の儀」は460人が参列)。


純白の祭服で悠紀殿に向かわれた上皇陛下=1990年11月、皇居・東御苑の大嘗宮

大嘗宮

大嘗祭のために仮設される「悠紀殿(ゆきでん)」「主基殿(すきでん)」など30程度の建物からなる祭場。敷地面積は平成のときから2割強縮小した200坪弱となる。
江戸城本丸跡の皇居・東御苑に建てられ、大嘗祭が終われば解体・撤去される。

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(上)平成の大嘗祭で使用された大嘗宮=1990年11月、皇居・東御苑
(下)今回建築する大嘗宮の平面図、作成:時事通信社
 


(写真引用:宮内庁/時事通信社


 

 

 

 

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