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さらば平成リアルタイムでの生前退位を目撃

 

天皇の法的地位は皇室典範特例法第2条のより、同法の施行の日(平成31年4月30日)限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする

 

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生前退位が2019/04/30の午後5時から始まります。

いやー。Twitterのライブで見ていますが、天皇陛下はすごい愛されているなぁ。

不敬に当たるような気もするけど、これだけ愛される君主も他にはいますまい。

これだけで、本当に平成が平和で良い時代であったことがわかります。

平成楽しかったし、平和だった

経済的、文化的な衰退はあったけど、平和で何より、あと私の学生時代が丸々平成だったので、思い出深い年号です。

次の令和は私の人生の後半戦ですね。

前半戦の滑り出しはまぁまぁなので、後半も頑張っていきますよぉ〜。

半蔵門から出られました

皇太子ご夫妻は、天皇陛下の退位の儀式「退位礼正殿の儀」に出席するため、午後4時半すぎ、半蔵門から車で皇居に入られました。

www3.nhk.or.jp/news/html/2019…

 

皇族が出かけるときは半蔵門から出るみたいです。半蔵門…懐かしいですねぇ。就活の時よく行きましたよ。

 

 

閣議 儀式での天皇陛下のおことば決定】

憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位の儀式、「退位礼正殿(たいいれい せいでん)の儀」を前に、政府は閣議を開き、儀式での天皇陛下のおことばと安倍総理大臣のあいさつを決定しました。

閣議 儀式での天皇陛下のおことば決定 | NHKニュース

後続の関係

陛下含め59人が退位=女性天皇は8人中7人-皇位継承 dlvr.it/R3mNx3

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生前退位

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生前退位した方のまとめです。

中国でも

【退位 中国で陛下の功績称賛】

yahoo.jp/awICWF

 


中国では天皇陛下の退位に当たり「訪中した唯一の天皇」の功績や人柄を称賛するムードが広がった。陛下が好きな言葉として論語の「忠恕(ちゅうじょ=誠実で思いやりのあること)」を挙げたことを評価する声も。

 

天安門事件の後、まだゴタゴタしているとき訪中したことで、中国としては面子を立ててもらった形になったんですよね。

日中友好!最高やな!

松の間で行われる

【陛下 夕方「退位礼正殿の儀」】

yahoo.jp/6d1it7

天皇陛下の退位に伴う「退位礼正殿の儀」は30日夕、皇居・宮殿「松の間」で行われる。30年3カ月余り象徴として歩んだ陛下が、在位中最後のお言葉を述べられる。

天皇陛下の写真

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過去のアーカイブ記事から、陛下の青春時代の貴重な記録をお届けします。

#平成最後の日

huffp.st/RmH9zMp

 

 

500RT:【退位の儀式】皇居で「退位礼当日賢所大前の儀」

news.livedoor.com/article/detail…

陛下は天皇の装束である「黄櫨染御袍」に身を包み、賢所で拝礼して退位の儀式を行うことを報告する「御告文」を読み上げられた。

 

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退位礼正殿の儀

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流れはこんな感じ。

 

改元 平成から令和へ】

天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に心から感謝します」。天皇陛下が「退位礼正殿の儀」でお言葉を述べられました。

 

改元 平成から令和へ】

「相次ぐ大きな自然災害など、幾多の困難にも直面しました。天皇陛下皇后陛下とご一緒に、国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ、明日への勇気と希望を与えてくださいました」。安倍首相が「退位礼正殿の儀」で国民代表の辞を述べました。

 

最後のお言葉

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天皇退位とは 

明治以降で初、光格天皇以来200年ぶり
きょうのことば
2019年4月30日 2:00
天皇退位 天皇の退位は天皇の終身在位を定めた明治以降で初めてで、1817年の光格天皇以来約200年ぶりとなる。皇室典範は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定め、天皇退位による皇位継承の規定はない。政府は2017年6月に天皇の退位を実現する特例法を成立させ、一代に限って退位を認めることにした。同年12月の皇室会議で退位の期日を19年4月末と決めた。

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きっかけは16年8月の天皇陛下の「お言葉」だ。高齢で公務を果たすのが難しくなったことなどを理由に退位の意向を示唆され、政府が検討を始めた。特例法では退位した天皇、皇后をそれぞれ「上皇」「上皇后」と呼称し、皇位継承順位1位となる秋篠宮さまの処遇を「皇太子」と同等にすることなどを定めた。

天皇を退位した上皇上皇后は公務から退くが、具体的な活動についての規定はない。二重権威の問題が生じないよう原則、私的な活動に限るとみられる。政府は今回の退位は「将来の先例となり得る」とする。制度として恒久化することには慎重だ。恣意的・強制的な退位が可能となり、天皇の政治関与を禁じる憲法4条に抵触するおそれがあるためだ。

 

天皇退位とは 明治以降で初、光格天皇以来200年ぶり :日本経済新聞

 

 

生前退位の経緯

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天皇陛下が退位の意向をにじませるお言葉を表明されてから2年8カ月余り。約200年ぶりの天皇退位に向けた準備が終わり、30年続いた平成が幕を下ろす。憲法が定める「国民の総意」に基づく退位はいかにして実現したのか。首相官邸宮内庁の動きを中心に振り返る。


象徴としてのお務めについてのお気持ちを表明する天皇陛下(2016年8月、皇居・御所)=宮内庁提供
 

天皇陛下が「お言葉」 2016年8月8日
 

「いずれ80歳になる。元気に務めを果たせなくなる前に譲位したい」。2010年7月22日夜、皇居・御所での宮内庁参与会議。当時76歳だった天皇陛下は私的な相談役である参与や長官ら同庁幹部がそろった席で、初めて退位の意向を明かされた。

この時、皇后さまを除く出席者全員が「大正期のように摂政を置かれるのがいいのでは」と述べたが、陛下は大正天皇の意向に反して摂政が置かれた点を指摘し「摂政では駄目だ」と強く反対。00年に97歳で死去した母、香淳皇后の晩年にも触れ、高齢者特有の症状で意思疎通が難しくなった様子を「つらかった」とも述べられたという。

これが契機となり、宮内庁内で退位に向けた方策が極秘裏に検討されたが、11年3月に東日本大震災が発生。12年2月には陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられるなど退位問題を最優先に検討できる状況にならなかった。

水面下の検討が煮詰まってきたのは15年になってからだ。「政府が退位を提起するのは無理。陛下ご自身が『お気持ち』を表明するしかない」。宮内庁幹部らは同年4月、陛下が退位の意向をにじませる「お言葉」の原案を作成。表明時期は陛下が82歳の誕生日を迎えられる同年12月の記者会見が候補とされた。

宮内庁から首相官邸に陛下の意向が伝わったのは同年10月ごろ。だが官邸は天皇に国政上の権能を認めない憲法の規定に照らし「天皇の即位と退位の自由は憲法上、認められない」と消極的で、12月の表明は立ち消えになった。

お言葉の表明時期は16年7月の参院選後や8月15日の終戦記念日から天皇誕生日までの間を軸に検討が進められたが、7月13日のNHKニュースで陛下の意向が明らかになった。直後の報道各社の世論調査では退位を容認する意見が圧倒的で、摂政設置を検討していた官邸は退位を実現する制度づくりへと転換する。

ただ政府がお言葉を受けて退位の制度設計に乗り出せば違憲の疑いも生じかねない。お言葉づくりには安倍晋三首相自身も加わるなど、異例の体制で慎重に進められた。

「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊で象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じている」。8月8日、陛下がビデオメッセージを通して表明されたお言葉。直接的な言及は避けつつも退位の意向が強くにじむ内容となって国民に向けて発信された。

 


 


 

恒久化か一代限りか議論 16年10月17日~17年6月9日
 

政府は天皇陛下の退位に向けて2016年9月に「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置し、10月17日に初会合を開いた。座長には天皇陛下より年上の経団連の今井敬名誉会長を選び、ほかに東大の御厨貴名誉教授ら計6人で構成した。退位のあり方に加えて高齢となった天皇の公務負担の軽減策など8項目を論点とした。


天皇陛下の退位を巡る有識者会議に臨む今井座長(左)=17年1月11日、首相官邸
11月には憲法や歴史などの専門家ら16人から意見を聴取した。専門家からは退位への賛成・反対の両論が示され、賛成でも制度の恒久化を求める意見と一代限りの特例措置とすべきだとの考えで割れた。これらの意見を踏まえ、12月14日には「退位を容認しつつ、恒久制度化は困難」との見解で一致した。

17年1月には論点整理を公表した。具体的な法整備のあり方には踏み込まなかったが、退位を容認する積極的な意見を列挙し、恒久制度化には課題を多く並べた。「一代限り」の特例法の制定に力点を置く内容にみせるためだ。

有識者会議で議論して結論を出すことに一部の国会議員が異論を唱えていた。会議に出席した安倍晋三首相は「各党・各会派の検討の際、論点整理を参考としていただくよう衆参両院の議長、副議長にお願いしたい」と表明。会議の取りまとめを「中間報告」とし、結論を国会に委ねた。


天皇陛下の退位に関する意見交換会に臨む衆参正副議長(奥)と各会派の代表(17年1月19日、国会内)
衆参両院の正副議長が2月末に示した論点に基づき、各党派の代表者が退位についての考え方などを議論した。特例措置を求める自民、公明両党に対し、恒久制度化を主張する当時の野党第1党、民進党との間の溝が浮き彫りとなった。

与党と民進党は(1)皇室典範の付則に特例法の根拠規定を設ける(2)退位を先例と位置付ける――などで3月中旬に合意。17日に衆参両院の正副議長が特例法で対応すべきだとの国会見解を取りまとめ、首相に報告した。

4月21日には有識者会議が一代限りの退位に向けた最終報告をまとめた。退位後の呼称を「上皇」とし、象徴としての行為を新天皇にすべて譲るといった退位の制度設計を盛り込んだ。

政府は最終報告や国会提言を基に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の骨子案を作成した。(1)退位日は法律の公布日から3年を超えない範囲で政令で定める(2)首相が三権の長や皇族らでつくる皇室会議の意見を聞いて決める――などを盛り込んだ。

特例法の委員会審議は衆院議院運営委員会参院は特別委員会で実施した。首相官邸側にとって想定外だったのは、与野党が最終的に折り合うためにまとめた付帯決議のなかに、皇位の安定継承や皇族数の減少対策の一環として政府に「女性宮家」創設の検討を求めることが盛り込まれたことだった。6月9日の参院本会議で採決を退席した自由党以外の全会一致で特例法が成立した。

「退位は19年4月末」決定 17年12月1日
 

天皇陛下の退位を2019年4月30日、皇太子さまの新天皇即位を5月1日にすると決めたのは2017年12月1日に開いた皇室会議だった。


皇室会議に臨む出席者。奥中央は議長の安倍首相(17年12月、宮内庁特別会議室)
そこまでの過程では首相官邸宮内庁との水面下での綱引きがあった。新年に合わせた「18年12月31日退位、19年1月1日即位」や年度替わりに合わせた「3月31日退位、4月1日即位」など複数の案が浮上。最後は官邸の主導で決めた。

陛下の退位を実現する皇室典範の特例法の成立を受け、政府は退位や即位の時期を本格的に検討し始めた。政治による決定を重視する官邸に対し、宮内庁は皇室事情への配慮を求めていた。

官邸が当初探ったのは「19年1月1日の即位」案だ。陛下が退位の意向をにじませた16年8月のお言葉で「平成の30年間」を節目として触れたことに配慮していた。

ところが宮内庁は難色を示した。新年は元日の宮中祭祀(さいし)や国事行為の「新年祝賀の儀」など皇室の重要な行事が相次ぐのを理由に挙げた。

19年1月7日に予定していた昭和天皇崩御から30年となる式年祭を陛下が自らの在位中に開くことにこだわったとの見方もある。

宮内庁は一連の皇室行事が一段落した後の「4月1日即位」案を官邸に打診した。

4月は統一地方選がある。官邸は与野党の対立が激しくなれば「静かな環境」のなかでの皇位継承は実現できないと反対した。異動の時期などと重なる年度替わりは慌ただしく、国民生活に混乱を招きかねないとも訴えた。

こうした駆け引きのなかで折衷案が「5月1日即位」案だった。

安倍晋三首相が議長を務める17年12月1日の皇室会議は10人の議員が円状に座り、首相の補佐役として本来はメンバーではない菅義偉官房長官が陪席した。宮内庁の関係者らには官邸が会議の進行を取り仕切る意思の表れだと映った。

会議の冒頭、首相は天皇陛下の退位と皇太子さまの即位の日程について意見を聞く場だとの趣旨を語った。続いて菅氏が退位特例法の内容を説明した。各議員が意見を表明し、19年4月30日の退位が望ましいとの考えが大勢を占めたという。

菅氏は会議後の記者会見で「陛下に在位30年の節目である19年1月7日をお迎えいただきたい。4月前半は全国的に人の異動が激しく、統一地方選もある」と語った。

儀式の詳細を詰め 18年1月9日~
 

天皇陛下の退位と皇太子さまの即位の日程が決まると、政府は皇位継承に伴う一連の儀式の具体的な進め方について検討を始めた。2018年1月9日に菅義偉官房長官をトップとする「式典準備委員会」を立ち上げ、儀式の形式や日程の詰めに入った。


平成の即位礼での天皇陛下と高御座(1990年11月、皇居・宮殿)
準備委で計3回議論し、同年4月に基本方針を閣議決定した。即位関連の主な儀式は1989年の「平成」への代替わりを踏襲すると確認。憲法に基づく天皇の行為である国事行為にした。

前例に倣い、歴代天皇に伝わる証しを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」には女性皇族の参列は認めないと決めた。皇位継承権のない女性皇族が出席すれば、政府が女性・女系天皇の容認に転じたという印象を与えかねないためだ。

天皇の退位は光格天皇以来約200年ぶり。重視したのが憲法との整合性だ。憲法1条は天皇の地位は国民の総意に基づくと定め、4条は天皇の国政関与を禁じる。陛下が自ら地位を譲る意思を示されれば憲法に違反しかねない。

憲法違反の疑いを避けるため、首相がまず退位特例法に基づいて陛下が退位する趣旨を説明し、その後に陛下が「お言葉」を述べられる。陛下は国民への感謝の意を伝えるにとどめ、退位の意向は示されない。儀式の名称は「退位礼正殿の儀」にした。

天皇が即位後初めて国民の安寧などを祈る「大嘗祭(だいじょうさい)」は宗教色が強いため国事行為に含めない。平成への代替わりと同じく皇室行事とした。

基本方針に基づき、18年10月には式典準備委員会を首相をトップとする「式典委員会」に事実上改組し、各儀式の詳細を議論した。初会合では立皇嗣の礼を20年の4月19日に開くと決めた。新天皇が即位する19年5月1日を1年限りの祝日とし、同年のゴールデンウイークを10連休にすることも確認した。

天皇の負担軽減や儀式を簡素化して経費を削減することなども議題とした。新天皇の即位後に賓客を招く「饗宴(きょうえん)の儀」は前回の代替わりでは4日続けて計7回開き、全て着席形式だった。今回は4回にとどめ、一部を立食形式にする。招待人数も前回の約3400人から約2600人に減らす。

退位礼正殿の儀を4月30日の午後5時から約10分間開くことを決めたのは、夕刻に陛下の公務が終わるのを踏まえたものだ。

天皇、皇后が10月22日に皇居周辺をパレードする「祝賀御列の儀」で用いるオープンカーはトヨタ自動車の「センチュリー」にした。

首相、新元号の事前公表を決断 19年1月4日
 

政府は新しい元号「令和」を4月1日に決定し、菅義偉官房長官が公表した。事前公表は憲政史上初めてだ。公表日を決める過程では伝統を重んじる国会議員らとの綱引きもあった。情報システム改修など国民生活への影響を考慮し、最終的には安倍晋三首相が事前公表を決めた。


元号「令和」を公表する菅官房長官(2019年4月1日、首相官邸)
5月1日の皇太子さまの即位や改元などの日程を決めた2017年12月の皇室会議の時点で、政府は改元の半年ほど前を念頭に18年中の新元号の公表を想定していた。早めに公表し、企業や官庁のシステム対応などの準備期間を確保する考えだった。

ただあまりに早い公表には「今の天皇のうちに次の時代を強く想起させてしまいかねない」との懸念が政府内で上がった。公表日を改元時期にできるだけ近づけるため、19年2月24日の天皇陛下在位30年記念式典以降にすることになった。

政府が公表時期の目安を初めて明らかにしたのは18年5月だ。皇位継承の「1カ月前」の公表を想定し、準備を進める方針を関係省庁で確認した。税金や社会保障などのシステム改修を混乱なく進めるには1カ月程度の準備期間が必要と判断したためだ。

それでも政府方針に伝統を重んじる国会議員らは異を唱えた。新元号の公表と公布を新天皇の即位後とすべきだと訴えた。超党派保守系議員でつくる日本会議国会議員懇談会会長の古屋圭司衆院議員らは18年8月、首相官邸で菅氏と面会し、こうした考えを伝えた。

古屋氏らは新元号の公表時期と、政令を官報に掲載して国民に周知する公布と効力が生じる施行のタイミングについて、5つほど案を政府側に示した。事前公表は天皇一代に1つの元号を使う「一世一元の制」に反すると指摘し、新天皇が即位後に新元号を公布する政令に署名すべきだと主張した。

政府側は内閣法制局の見解に基づき難色を示した。即位日に公表・政令公布・施行する案だと1日のうちで時間帯によって2つの元号に分かれ、出生時刻などに混乱が生じかねない。新天皇元号選びに関与したとみなされかねず、天皇の国政関与を禁じる憲法違反が疑われるとも説明した。

保守系議員を代表して衛藤晟一首相補佐官杉田和博官房副長官らに何度も翻意を促したが、両者の主張は平行線をたどった。衛藤氏らを説得して議論に終止符を打ったのは首相自身だった。

首相は19年1月4日、年頭記者会見で4月1日に事前公表する意向を表明。「国民生活への影響を最小限に抑える」と強調した。平成への改元時に比べて複雑化した情報システムの改修期間の確保を優先した判断だった。

 

検証 天皇陛下退位の経緯 国民生活の混乱回避 :日本経済新聞

 

 

三種の神器

天皇陛下の退位に伴う皇太子さまへの皇位継承儀式で中心となるのは、歴代天皇に伝わるとされる「三種の神器」のうち、剣と璽(じ=まがたま)などを受け継ぐ剣璽等承継の儀だ。

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明治時代に制定された旧皇室典範では天皇の証しとされたが、現在の典範には規定がなく、皇室経済法が定める「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」と位置づけられている。

三種の神器は鏡、剣、璽を指し、伝承では皇室の祖神、天照大神が孫のニニギノミコトに授けたとされる。それぞれ八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と呼ばれ、国事行為の際に使う国の印の「国璽」と天皇の印の「御璽」と共に、陛下も即位した際に受け継がれた。


伊勢神宮に退位を報告し、帰京する天皇、皇后両陛下に随行する侍従。三種の神器のうち、「剣」と「璽」が入ったケースを運ぶ(4月19日、JR名古屋駅)
近代以前の歴史をみると、神器を受け継がずに皇位が継承された例もある。後鳥羽天皇(在位1183~1198年)は先代の安徳天皇平氏とともに都を追われたため、神器がないまま即位したとされる。

鏡は伊勢神宮三重県伊勢市)、剣は熱田神宮名古屋市)、璽は天皇、皇后両陛下のお住まいの皇居・御所にある。本来は天皇の身近にあるべきものだが、鏡と剣は神性が強いとされ、安易に移動できない。そのため、鏡の形代(かたしろ)が皇居・宮中三殿賢所に、剣の形代が御所で保管されている。

5月1日の剣璽等承継の儀では、剣と璽が会場の宮殿「松の間」に運び込まれ、皇太子さまが受け継がれる。

 

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