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平成という時代を生きた学生時代を振り返る

平成とはどんな時代であったか

メディア

平成初期(1989から1994)
バブル景気のもと、質の高いコンテンツがコンスタントに生み出されていた。
1994年の松本サリン事件で日本の事件報道の問題点が露呈した。
同年にはインターネット(WWW)が話題となる。

 

平成前期(1995から2000)
オウム真理教事件、神戸連続児童殺傷事件で事件報道の量的拡大が進む
いっぽうで「キレる17歳」のような統計を無視した不安を煽るだけの報道も目立つようになる。
メガヒット時代で音楽CDなどのエンタメコンテンツが大量に売れた。
インターネットの普及が始まり、一般人が世界中の不特定数に情報を発信するようになり
マスメディアの特権性がしだいにゆらぐようになる。
新世紀エヴァンゲリオンの大ヒットにより子供のエンタテインメントとみなされてきたアニメの ヲタ化が加速しはじめる。

平成中期(2001から2009)
平成不況でコンテンツが売れなくなったり、インターネットの常時定額高速接続いわゆる
ブロードバンドが登場したりしてマスメディアの経営が苦境に立たされる。
韓流ブームで日本のメディアも国際競争を意識せざるをえなくなってきた。
平成不況によりジャニーズ事務所やバーニングといった大手芸能事務所の発言力が増大したが、
鈴木亜美氏の独立騒動で日本の芸能界の封建性が意識されはじめるようになる。
ブログやSNSの登場により世論形成におけるインターネットの存在感が高まった。
小泉劇場」に象徴されるように政治報道が劇場化・エンタテイメント化する。

 

平成後期(2010から2012)
民主党政権が誕生し、記者会見がオープン化されるようになり報道の自由さが高まった。
スマートフォンが普及しインターネットが一部のマニアのものではなくなった。

 

平成末期(2013から2019.4まで)
安倍晋三氏が首相に返り咲き、メディア統制を強化しはじめる。
安倍自民党は大衆化したインターネットをプロパガンダに徹底活用するようになった。
世界的にはインターネットのフェイクニュースが問題となる。
SMAP独立問題で日本の芸能界の構造改革がはじまった。
漫画村」問題で漫画に依存してきた日本の出版業界の脆弱さが浮き彫りになる。

 

世界

2018年は、実質的に平成最後の年になる。およそ30年間続いた「平成」とはどんな時代だったのか、ここで振り返ってみたい。

 1989年に昭和天皇崩御され、平成の時代が幕を開けた。奇しくもこの89年という年は、世界的にも実に様々な出来事が起こり、大転換期にあったと言える。

 同年6月4日に、中国では天安門事件が起こり、11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊した。ベルリンの壁崩壊を受けて、12月2日には米国のブッシュ大統領ソ連ゴルバチョフ書記長によるマルタ会談が行われ、米ソ冷戦の終結を宣言した。

 日本では不動産バブルがピークに達し、89年12月の日経平均株価は3万8957円を記録した。

私が生まれ、学生時代を生きてきた時代です。

ちょうど社会人になる節目の年に平成も終わりを迎えます。

私が今まで過ごしてきたこの時代。どんな時代であったか振り返ろうと思います。

しかし、平成の初期に関しては生まれていないので、私の主観的な感想は書けません。

ご了承ください。

まずは平成初期から

オウム真理教事件

概要

オウム真理教の教祖である麻原彰晃(本名:松本智津夫)が救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で、世界各国での軍事訓練や軍事ヘリの調達、自動小銃の密造や化学兵器の生産を行い武装化し、教団と敵対する人物の殺害や無差別テロを実行した。

一連の事件で29人が死亡し(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名) 負傷者は6000人を超えた。教団内でも判明しているだけでも5名が殺害され、死者・行方不明者は30名を超える。被害者の数や社会に与えた影響や裁判での複数の教団幹部への厳罰判決などから、「日本犯罪史において最悪の凶悪事件」とされている。

特に注目される事件として、教団と対立する弁護士とその家族を殺害した1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、教団松本支部立ち退きを求める訴訟を担当する判事の殺害を目的としてサリンを散布し計7人の死者と数百人の負傷者を出した1994年6月27日の松本サリン事件、教団への捜査の攪乱と首都圏の混乱を目的に5両の地下鉄車両にサリンを散布して計12人[4]の死者と数千人の負傷者を出した1995年3月20日地下鉄サリン事件が挙げられる。毎日新聞ではこれら3つの事件に対してオウム「3大事件」(オウムさんだいじけん)と表現している。

2011年12月、それまでに起訴された全ての刑事裁判が終結し、189人が起訴され、13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定した。

2011年12月31日には16年以上にわたり逃亡を続けてきた平田信が警視庁に出頭し、翌2012年1月1日に逮捕され、平田を匿って逃亡に協力していた元女性出家信者も同年1月10日に逮捕、両者とも起訴された。

同年6月3日には同じく逃亡していた菊地直子が潜伏先で逮捕され、同月15日には同じく逃亡を続けていた高橋克也が、東京都大田区西蒲田の漫画喫茶で身柄を確保され、同日逮捕された。これで警察庁からオウム真理教事件に関する特別指名手配を受けていた3人は、すべて逮捕・起訴された(平田信は2016年1月13日に懲役9年、菊地直子は2017年12月27日に無罪が確定)。

最後のオウム事件被告である高橋克也は、最高裁まで争い2018年1月18日付で無期懲役が事実上確定。1月25日付で異議申立てが棄却、これをもってオウム事件裁判は完全に終結した。

 

最近死刑が執行されました(7月8日)

2018年7月6日、オウム真理教元代表で “麻原彰晃” こと「松本智津夫」死刑囚(63歳)の死刑が執行されました。

テレビの速報で報じられたそうです。私はテレビを見ないのでわかりませんでした。

平成という時代の内に終わらせたかったのでしょう。

阪神淡路大震災

概要

阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害のことである。



1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒

淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生した。

近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府京都府も)が大きな被害を受けた。

特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。

犠牲者は6,434名に達し、戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。

1995年1月25日の政令により、激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害に指定。

 

地震による揺れとして、地震後の気象庁地震機動観測班による現地調査で阪神間(神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市)および淡路島の一部(津名町北淡町一宮町)に震度7の激震が適用された。

 

戦後に発生した地震では、1946年(昭和21年)の昭和南海地震や1948年(昭和23年)の福井地震を大きく上回り、当時の地震災害としては戦後最大規模の被害を出した。

被害の特徴としては、都市の直下で起こった地震による災害であるということが挙げられる。日本での都市型震災としては、大都市を直撃した1944年(昭和19年)の昭和東南海地震以来となる。

福井地震を契機として新設された「震度7」が適用された初めての事例であり、実地検分(気象庁地震機動観測班による現地調査)によって震度7が適用された最初の事例であった。

しかし、現地調査後に震度7を発表したのでは対応が遅れるとの意見を踏まえ、この震災の翌年から震度7も計測震度によって速報可能な体制に変更された。

これ以降に発生した、2004年の新潟県中越地震や2011年の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)、2016年の熊本地震における震度7の観測は、震度計によって実測されたものである。

生まれる前でした

生まれる前だったので主観的な感想は書けませんが、小学生の時は地震の被害を学ぶ時間ではこの阪神淡路大震災のことについて学んでいました。

倒れた高速道路の写真はすごく印象に残っています。

教師や講師の方が「君たちはこの時はまだ生まれてないのか…そうかぁ…」って言ってましたね。

 

私たちが大人になり、子供達に震災(東日本大震災のことになると思います)のことを教える時はきっと同じことを思うんだなと思いました。

東日本大震災が2011年に発生してはや7年。

あの震災の後に生まれてきた子供達ももう直ぐ小学生になると思うと早いですよね。

 

東日本大震災に関しては後に詳しく書きます。

サブカルチャー全盛期であった

私には二人兄がいました。

そのため、90年代のアニメや特撮、ゲームを見て育ちました。

この時期はサブカルチャーの全盛期でどれも素晴らしいものばかりでした。

私は熱中しました。

オタクが世間一般に認知され始め、秋葉原がオタクの街として取り上げられた時代です。

しかし、当時のマスコミはあまり好意的には受け取らず、犯罪者予備軍としてオタクを取り上げます。

そして、秋葉原殺傷事件が起きます。

ホコ天は無くなり、活気は一気に失われて行きました。

90年代はサブカルチャーも素晴らしい出来でしたが、段々とバブル崩壊の影響が出始めました。

2000年代ではまだ面白いものが作られていましたが、10年代に入り失速。

今では退廃し、5年後には素晴らしい作品が一つも作れなくなるでしょう。

平成の終わりと共にサブカルチャーも終わりを迎えそうです。

リーマンショックが起こる

概要

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リーマン・ショックは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)が経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ。

 

日本は長引く不景気からサブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したものの直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なドル安が進み、米国市場への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。

感想

不景気なのにまた不景気かよ!

って感じでした。

たくさんリストラが発生し、この時は公務員になろうと思いました。景気変動で首切られることないですからね。

その後は公務員もやばいと思って結局公務員にはなりませんでした。

常に不景気、貧乏だと言い聞かされる

親にはうちは貧乏だからと言われ、何も買い与えられませんでした。

テレビをつければいつも不景気、不景気と報道されており、あまりいい時代ではないのだなと思っていました。

景気にも波があるのでいつかは好景気が来るのだろうと思いましたが、そんなこともなかったですね。

まさか今でも続いているとは思いもよらなかったです。

小さい時には仕事があれば幸せだと思え。そう言われました。

私が就職するときには好景気(企業限定)で、少子化もあり売り手市場だともてはやされましたが、その実態は誰もやりたがらない仕事(スキルが身につかない仕事)と非正規雇用の募集が増えただけという悲惨な有り様でした。

文系が多く入社する銀行はマイナス金利やフィンティックにより募集数も減り、優秀な人は逃げ出す有り様です。

また、日本という国自体も将来が怪しく、公務員も優秀な人は目指さなくなりました。

東大生の人気業界はコンサル、外銀、IT、総合商社になりました。

昔のように官僚やエリート銀行マンになることがエリート勝ち組街道ではなくなりました。

 

中堅大学でも銀行や公務員からは優秀な人が逃げ出し、溢れた文系がこぞってIT企業(SIerも含む)を目指しました。

私もこれからはITだと思っていましたのでIT企業を目指しましたが、皆考えることは同じようでかなり周りが優秀で競争が激しかったです。

当然、有名企業には入れませんでしたが、ちゃんと仕事にありつけただけ良かったです。

税金がめちゃ重たくなる

消費税が5%から8%になりました。

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多分、もうすぐ10%になります。

諦めました。

近年では若者のお金離れが進み、悟りを開き仏になる人、無敵になる人が急増しました。

若者の二極化が激しいです。ヤバそうな人を見たら逃げましょう。無敵な人の可能性があります。

最近だと新幹線刺殺事件とか富山交番襲撃事件が起きました。

同世代が暴れまわっててバイトの先輩に「自分らの世代ヤバない?」って言われてなんて返したら良いかわからなくなりました。

それ以外の人は基本的に慎ましく生きていると思います。ただ報われないことはやらないです。

サービス残業なんてさせたらたぶん会社を辞める人が出てきます。

お金は使わず、と言うか使えず、修行僧のような生活をしている人が多いです。

贅沢せず、小さな幸せを噛み締めて生きています。

※無敵の人とは?

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。

東日本大震災

概要

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。

大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。

発生した日付から3.11(さんてんいちいち)とも呼ばれる。

地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。

 

日本政府は震災による直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している。

この額は、被害が大きかった岩手・宮城・福島の3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)。

世界銀行の推計では、自然災害による経済損失額としては史上1位としている。

当時の私

私が中学生の時でした。友達が地震だと叫びました。非常に小さな揺れだったので気がつきませんでした。

すると徐々に揺れは大きくなりました。

その揺れ方は船の上にいるようなゆったりとして気持ちの悪い揺れ方でした。そして、その揺れの異常さは長さです。

ずっと揺れていました。2〜5分程度も揺れ続けており、とても長く感じました。

担任の先生がテレビをつけると震度7の大地震が東北で起こったという速報が入りました。

その時は大きい地震が起こったなと言った感じで、そこまで深刻なことだとは思いませんでした。

私はそのまま学校で過ごし、歯医者に通っていたので歯医者に向かいました。

私は歯の治療をしている時にテレビを見ていました。そこでは千葉のコンビナート燃えている様子が映されていました。

町が海に飲み込まれ、気仙沼が燃えていました。

津波の映像を見た時に戦慄しました。

黒い濁流が家も人も畑も全てを飲み込んでいくのです。とてもショッキングな映像でした。

そして、数日後には原子力発電所(福島第1原発)が爆発しました。

マグニチュードも日本観測史上初となる9に上げられ、ものすごいことが起きたのだとようやく理解しました。

学校では特別な集会が開かれ、体育館で体育座りをさせられていたのを覚えています。

先生の名前は忘れてしまいましたが、こう言っていました。

「私は阪神淡路大震災を経験しました。もうこれ以上悲惨な震災は起こらないと思っていました。しかし、それ以上のことが東北で起きてしまいました。

この国にいる以上地震からは逃れられません。だから、しっかりと地震が起きた時にどうするか考えておいてください。」

と。

当時は民主党政権でした。ネットでは菅党大震災とも言われていました。

政府は頑なにメルトダウンしたとは言いませんでした。ただちに影響はない。

その一点張りでした。 

本当はメルトダウンしてたんですけどね。

薄々そんな感じはしてました。あれだけの爆発をしてメルトダウンしないわけがないと。

まさかこの日本でメルトダウンが起こるとは思いませんでした。

ゴジラvsデストロイヤーの中だけの話だと思っていましたが、現実世界で起きてしまいました。

ニュースは連日原子力建屋の屋根が水素爆発で吹き飛ばされ、不気味な黒煙を上げている動画が映し出されていました。まるでドクロのような形をした黒煙でした。

この震災以後テレビはどこの局に変えても同じニュースが流れ、ACのCMが流れます。

いわゆるディストピアと言われるような世界が現実になりました。

多くの人がノイローゼ気味になるなど、どんよりとした異様な空気だったことを覚えています。

スマートフォンが現れた

高校生になるとスマートフォンが爆発的に普及します。

より多くの人がインターネットに繋がれる時代になりました。

しかし、その一方SNSやインターネット上でのトラブルも増えていきました。

昔のようなネチケットやモラルというものは完全に無くなり、人々の憎悪だけが増大し映し出される醜い世界へとインターネットは変わっていきました。

学校内では当然陰湿なイジメが起こります。

盗撮は当たり前、個人情報も御構い無しの酷い有様です。

ウェブ上でも当然風土は荒れます。

当時非常に力を持ったのは、いわゆるネトウヨと呼ばれる人たちで、そこらかしこで韓国や中国に対する差別で埋め尽くされていました。

当時はフジテレビなどで韓流ドラマや韓国のコンテンツがゴリ押しされていたので、ヘイトを集めたのも理解はできますが、とは言っても異常な雰囲気でした。

民主党政権時代だったこともあり、政府へのヘイトも大きかったと思います。

初の政権交代でしたから、ずさんな政治運営が行われました。政治運営能力が無かった。

ただ、当時は高校生だったので公立高校の授業料無償化があり、割と恩恵を受けれたような気もします。

私というより親がですけどね。

中学生の時には定額給付金がありましたが、これは周りの友人達を見ても子供の分は親にかすめ取られる感じでしたねw

 

話が逸れましたが、ネトウヨはとにかくレベルが低い。

何でもかんでも気に入らないものは在日認定という小学生レベルの言論であふれていました。

何が何でも中国崩壊!韓国崩壊!アホかと。

今では中国がアメリカを追随し超大国になりつつあります。

根拠の薄い話、論理的でない話を信じなくなったのもこの時期です。

それがノイジーマイノリティなのか、本当に大衆がこのレベルなのかわかりませんでした。

後になって色々データが出てきましたが、ネトウヨの正体はいい年した大人なわけです。

当時の30代の人たちがこんな感じだったわけですよ。大人に幻滅しましたね。

失われた30年

失われた30年と言われた時代。平成という時代全て失われていたことになります。

日本のGDPはほぼ横ばいで成長せず、むしろ下がり始めました。

2006年には人口が減り始めました。

失われたというより、ピークを完全にすぎてしまったのだと思います。

どんどん日本が衰退していくのがわかった

1年、また1年。年を重ねるごとに日本の状況は目に見えて悪くなって行きます。

2012年のスレッドを見た時に思いました。多くの人はこの国の行く末をある程度は理解していた。

しかし、危機感は感じられなかった。いや、現実を見たくなかったのかもしれない。

どうにかなるだろう。そんな希望的観測で溢れていた。

当時の私もそうでした。なんとかなると思っていました。高校生になったぐらいですかね。

それから6年という歳月が流れましたが、2020年の東京オリンピックまでで日本が終わるという風潮が跋扈しています。

良い予想は当たらず、悪い予想はよく当たるのがこの世の法則です。マーフィーの法則みたいなもんですかね。

多分、日本は終わるのでしょう。

しかし、終わりがあれば始まりがある。

 

のかなぁ…そう信じたいです。

私が生きてきた時代は衰退するばかりで、盛り上がるものはあまりありませんでした。

強いて言えばインターネット革命ですかね。この時に堀江貴文率いるライブドアや三木谷社長の楽天など様々なIT企業が誕生しました。

ITバブルもありましたからね。

多分これぐらいです。バブル崩壊後の日本の中では下り坂のものしかなかった。

平成初期で多くのものが消えていきました。

後半はなーんにも残ってない。スマホが出てきたぐらいです。

私がある程度束縛から解放された時には何も残ってはいませんでした。

それが悲しかった。だから、私はまた作ろうと思いました。

今はそれを実現させることが私の生きがいです。

上記以外は割と平和

いろんなことがあった平成の時代ですが、上記のこと以外は平和でした。

いや、上記のことがすごすぎるんですけどね…

それでも、日本では戦争も起きなかったし、平和だったと思います。

無事に社会人になることも出来ましたし、良い時代ではありませんでしたが、特段悪い時代でもありませんでした。

ただ、穏やかに全てのものが衰退して言ったそんな時代です。

衰退というより元に戻っただけかもしれませんね。平らに成ると書いて平成。

正しく、その字の通り、絶好調だった日本が初期位置に戻された時代であったと言えるかもしれません。

これからどうするか

日本全体で見れば、次の時代は平成より悪くなると思います。

ただ、そんな中でも生きていかなければなりません。

どんな時代にしていきたいのか。自分にできることはなんなのか。それを見つけていく時代になると思います。

私が生まれて初めて経験する時代の転換期に差し掛かりました。

人生単位で見るとあと一度時代が変わるでしょう。

おそらくそれが私の晩年の時代。60〜70の間でしょう。

その頃には良い時代になっているかもしれません。

とにかく今を生きる。

それだけを考えます。未来がどうなるかは神様しか知りません。

それでも、死ぬときには良い人生だったなと言えるように生きていきたいと思っています。

ようこそ!名無し文学部へ
楽しんでいってください。