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人間の存在価値とは?何者かになろうとする若者たち(自殺、絶望世代)

人間の価値とは

新幹線車内殺傷事件

容疑者、半年前に家出=「価値ない人間」

自殺願望も-新幹線殺傷事件

2018/06/10 18:42時事通信社

新幹線殺傷事件で逮捕された小島一朗容疑者(22)は2年前から、愛知県岡崎市で祖母(81)と伯父夫婦の4人で暮らしていた。家族とトラブルが絶えず、家出を繰り返していたという。

昨年12月にも「旅に出る」と言い残して外出したまま、自宅に戻らない状態だった。 祖母らによると、小島容疑者はたびたび「死にたい」と口にし、太いロープを持ち歩いていた。

自分は価値のない人間なんだ」「この世に適応しない」などと話すこともあった。 同居していた両親との関係が悪化し、14歳のころ自立支援施設に入所。

職業訓練校に通い、19歳のころ埼玉県内に本社がある機械修理会社に入社した。愛媛県で勤務したが、20歳ごろに辞めたという。 その後、祖母の家に身を寄せるようになったが、家出を重ね、長野県から祖母や伯父(57)が連れ戻したこともあった。

祖母は「夢じゃないのかと思う。まさかあの子が…」と話した。伯父は「人に危害を加える印象はない」と振り返りつつ、「大変申し訳ありません。亡くなられた方もいて、お悔やみ申し上げます」と謝罪した。 愛知県一宮市で離れて暮らす小島容疑者の父親(52)は「言葉がない。これからの人生は事件を償うことに尽くしてほしい」。

同容疑者が5年間入所していた施設代表の男性は、就職が決まり意気揚々と出ていった姿を覚えている。「頭がよく、こんなことをする子じゃない。就職後に何があったのか」とショックを受けた様子だった。

容疑者、半年前に家出=「価値ない人間」自殺願望も-新幹線殺傷事件 | ニコニコニュース

この人の場合はただの構ってちゃんです。己の身勝手さ、幼稚さで人を殺してしまった。

しかし、人間にとって存在価値というものがどれほど重要かを改めて考えさせられた事件でもあります。

秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大氏が頭をよぎりました。

なぜ若者は何者かにならなければならないと思うのか

SNSがここまで、発達し、常に有名人や才能のある人たちの存在や生活を見ることができるようになった。

そのために、デジタルネイティブの若者は世界がすべて有名人、才能のある人たちがたくさんいるように錯覚してしまうのだ。だからこそ、自分の平凡さ無価値さに苦しむ。

しかし、社会に出れば才能がある人、有名人などほんの少しでしかない。

しかし、今の若者にとっての世界とはネットそのものであるのだ。

なぜなら、現実は劣悪な学校という環境に押し込められ、家という狭い環境しか与えられないからである。

彼らにとっての唯一の居場所はネットの世界なのだ。

若者の自殺率が急増

自殺者の総数が減少傾向のなかで平成最多の中高生自殺者

去年1年間に自殺した中高生の数が、前年度より38人増の346人にのぼり、平成に入って最多となったことが厚生労働省のまとめでわかりました。自殺者の総数がここ8年間連続して減少していることを考えると注目すべき数字です。

その理由として学校関係の問題が挙げられていますが、確かに現在の学校は勉強だけでなくいじめや不登校の問題などさまざまな問題が山積みです。そのため先生方も校内で色々な研修や対策を講じていますし、厚労省も若者の自殺を防ごうと、「自殺対策強化月間」やSNSを使って悩みの相談に応じる取り組みなど様々な対策をとっていますが、残念ながら結果にはむすびついていません。

「死にたい」で踏みとどまる人と行動に移す人の3つの違い
こういう状況を見ると、組織的な対策だけでなく自殺へと向かう個人の心理への決め細かい対応も必要であると思われます。H28年度の国民意識調査によると国民の実に2割以上が「(真剣に)自殺について考えたことがある」と回答しています。

しかしもちろん回答した2割の人のほとんどの人は実際に自殺していません。では「死にたい」と思いながらも踏みとどまる人と実際に行動に移す人の違いはどこにあるのでしょうか?ある研究報告によると、人が自殺行動を起こすにはいくつかの条件があると言われます。

その条件は
1)自殺に対するハードルの低さ
2)「自分の居場所がない」「誰も分かってくれない」という所属感の減弱
3)「私の存在が周りに迷惑をかけている」「生きていて申し訳ない」という周囲への負担感

の3点だということです。

自殺を考えている中高生に対する私たちの関わり方
それを踏まえた上で自殺を考えている相手に私たちはどう関わればよいでしょうか。

例えば「自殺に対するハードル」は自傷行為の有無や暴力の被害体験、SNSなどで希死念慮の頻繁な書き込みを繰り返すことで低くなりがちです。一見すると冗談に聞こえる「死にたい」という言葉を軽くとらえるのではなく、周囲の人がアンテナを敏感にしておくことが必要でしょう。

また「自分の居場所がない」という孤立感や「だれも分かってくれない」という孤独感は自分の存在価値の喪失感にもつながります。

「人は、人によりて人となる」という言葉がありますが、何気ない言葉かけや個人的な話を傾聴してくれる相手の存在がその人の孤立感を和らげるのです。

さらに「周囲への負担感」についても「あなたと話ができてよかった」「あなたの気持ちを聞くことができてうれしかった」という周囲の感謝と連帯の声かけによって少しずつ和らいでいくのではないでしょうか。

目の前の一人を死なせないことが自殺を防ぐためのカギになる
最後に「死にたい」という言葉は文字通りの意味とは別に「『死にたい』ぐらい、つらい。この気持ちを分かってほしい」という意味があることも忘れてはならないでしょう。

ただ思春期の真っただ中にいる中・高生が「この気持ちを聞いてほしい」と素直に言うことは難しいかもしれません。だとすると周囲の人々が「あなたのことが気になっている。もしよければ話を聞かせてくれればうれしい」と、おずおずと、しかし勇気を出してあきらめずにつながりを求めることが大切になります。

そしてまず「目の前の一人」を救うことが、この346人という数字を下げる一番の近道なのかもしれません。だとするとそのカギは私たち自身にあるのです。

【岸井 謙児:臨床心理士・スクールカウンセラー】

中高生の自殺者数が平成に入って最多に 総数は8年間連続で減少 - ライブドアニュース

日本の閉塞感と時代遅れの軍隊式学校教育、デジタルネイティブ。

若者を取り巻く環境はお世辞にも良いとは言えない。私も学生時代大変辛く、早く大人になりたいと感じていた。

(公立は地獄です。私立の良い学校は問題ないかも?)

とにかく何もかも縛られるあの感じ。

軍隊のような部活。なぜ勉強するのかもわからない学校の無意味な教育。

教師による理不尽な罵倒…

 

日本の学校教育は根本から見直すべきであると思う。

まず、クラス制度を廃止すべきだ。

ランダムに構成される30〜40人と言う単位の組織が作られるのだが、そんな環境の中では当然イジメが起こる。

彼らにとっての世界はそのクラスの中と自宅しか存在しない。

クラスで運悪くいじめっ子がいた場合、そして親が毒親であった場合。

これは最悪である。

逃げ道がないのだ。

 

そしてヤバイ教師を解雇すること。

あの…小中高とだんだんマシにはなるけど、はっきり言って教師ってヤバイ人多すぎるよ…

ヒステリックな音楽教員とか、何もしてないのにブチギレられたりとか…

小中とか元ヤンとかヤクザとかいたんですけど…

なんでそんな人が教師になれんだよ。

暴力と怒号による教育(服従)とかありえないからな。

今思い返すとヤバイはあの環境は。

大学が楽しくてたまらないのも当然な気がしてきた。

 

日本が腐っているのはあの異常な学校環境に原因があるような気がする。

本当に時代が近代のままだった。

21世紀だぞ?

20世紀初頭の世界を生きているようだった。

当時はまだ誰でもどこでもインターネットに繋がれる世界ではなかったので、わからなかったが、明らかに学校という場所は異常な空間だった。

それが今でも続いているのだとしたら、多くの若者が死にたくなるのも無理はない。

今はインターネットである程度世界がわかってしまうのだから。

それまでは学校と家だけという閉ざされた環境しか与えられていないので、疑問を持つこともなかったが、今の状態で再び学校に行くならば、間違いなく私は不登校になるし、通信制の学校に行くだろう。

アホみたいな無駄な教育を受けず、優秀な塾に入り、そこそこの大学を目指した方がはるかに良い。

今だから、このように言えるが、学校には友達もいることだし、このように大胆なことは出来なかっただろう。

しかし、まともな思考ができるようになってしまうとどうしてもあの異常な環境に居たいとは思わない。

判断力の乏しい子供だからこそ受け入れられた環境である。

そこにインターネットという最強の情報ツールを手に入れてしまったのだから、今の子供達は不幸極まりない。

また、子供たちからすれば、学校がこの有様では居場所は家にしかないわけだが、その家でも複雑な家庭環境であれば、それこそ逃げ場がない。

そうなれば、当然自殺したくなるのも無理はない。居場所がどこにもないのだから。

最悪、秋葉原無差別殺傷事件や新幹線車内殺傷事件を起こす原因になる。

頭がいいからこそ、無駄なことを考える

私はバカでよかったのかもしれない。鈍感だし、間抜けだし、天然だから気が付かなかっただけだ。

世の中考えすぎると上手くいかない。

返って辛くなってしまう。

考えたところで無駄なのだ。

どうしようもないことが多すぎるからね。

この国は法治国家であるが、法は残念ながら勝手に守ってはくれない。

学校の中では法とは教師なのだ。逆らえない。

どれだけ理不尽なことであっても。

頭が良ければ、こんなアホみたいな環境にはつくづく嫌気がさすだろう。

しかし、そういうものなのだ。

この世は不条理で理不尽なことで溢れている。

考えればバカバカしいこともたくさんある。

しかし、それを受け入れなければならないこともあるのだ。

深く考えず、こんなものなのだと受け入れて行くしかない。社会とはそういうものなのだ。

ようこそ!名無し文学部へ
楽しんでいってください。