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ADHDは狩して生きればいい、農耕文化はクソ

農耕文化はクソ

前回、ADHDは狩猟民族の遺伝子を持っている説を紹介しましたが、それに関連して、狩猟文化と農耕文化について考えてみます。

ADHDは狩猟民族の遺伝子を受け継いでいるのか? - 名無し文学部@ネット社会、ネット文化研究所

ところで、先日面白い漫画を見つけました。

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んー。真実のほどはわかりませんが、今だと農業はかなり機械化されて少人数でできるようになりしたよね。農耕だと、わかりづらいので、今に合うように置き換えてみましょう。

農耕を労働に置き換えると、その通り!!!って感じになります。

現代だと、会社の仕事っていうのが、農耕文化を色濃く受け継いでいると思います。毎日顧客に気を使って資料作成、接待、資材の手配等々。

ついでに、子供作っちゃうと、家を買って、車買って、教育費かけて、それをローンで払う。これやっちゃうとローン返すだけの奴隷となり延々に労働に縛り付けられることになる。

子供可愛いですから、その成長が見れるだけで幸せだと思いますが、この漫画同様に、辛い生活をせざる得なくなります…

 

人類が農耕せざる得なくなったのは、子作りし過ぎて要求生産量が増え過ぎたからです。確かに、農耕の方が安定して食料を調達でき、効率がいいのですが、人間はもとい、動物はずっと狩猟採集生活を送っていたのです。

普段やらないことをやるのは誰しもストレスを感じますよね。人間も今まで行ってきた生活スタイルを捨てざるを得なくなっているので、当然ストレスを感じるわけです。今の仕事でストレス感じてない人はいないんじゃないでしょう?特にADHDなんて、狩猟民族の遺伝子を色濃く受け継いでいるという説もありますから、現代の社会では大変生き辛さを感じているのかもしれません。(少なくとも私は感じています)誰しも労働から解放されたいと思っていますよね。それは当然ですよ。だって人間は動物なんだもの。

ホリエモンの意見

さすが、多動力の持ち主、同じ考えです

中略
ところが21世紀になって、IT技術の発達によってその境界が次第にあいまいになってきました。効率的に機械化できる領域が増し、人はある程度、自分が興味を持てる部分を選んで担えるようになったからです。
例えば僕の場合、マンガを読むのが好きだから、『マンガHONZ』や『マンガ新聞』といった事業を立ち上げました。また、最近立ち上げた『マンガトリガー』は、マンガのセレクトショップアプリですから、マンガを読むこと自体も仕事になっています。今の時代、その気になれば何でもマネタイズできるはずなんですよ。

生きるための仕事がなくなった現代
現在は、お金を得る手段が労働に対する対価のみではなくなってきたため、相対的にお金の価値は下がってきています。そのため、日本中でお金が余っている時代とも言えます。おかげで面白いアイデアを持っている人の元に、どんどんお金が集まるようになりました。クラウドファンディングなどはその典型でしょう。

僕がやっているサロンの会員にも、「ニート女子ですが、トライアスロンに初挑戦するので応援してください」と言うだけで、15万円も集めた子がいます。僕に言わせれば、こういった自分がやりたいこと、楽しいと思うことでお金を得ることだって、立派な仕事です。それが実現できる時代なのだから、誰しも楽しい仕事を積極的に取りにいかない手はないですよね。

昔と比べて大きく変わったのは、生きるための仕事がなくなったこと。最近話題になっている『サピエンス全史』に、「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述がありますが、これは言い得て妙だと思います。

狩猟採集生活をしていた頃、人々はきっと楽しんで狩りに取り組んでいたことでしょう。しかし、農耕生活を始めたことで、生きるために嫌でも畑を耕さなければならなくなりました。そのために人は家族という集団で暮らし、一家の住む土地に根を張って生きていくことを強いられ、結果として住む地域や仕事を選ぶ自由を失ってしまいました。

それが産業革命によって機械化が進んでからは、人は必ずしも生きるためにはたらく必要がなくなったはず。しかしそれでも、市場原理のなせる業なのか、安い仕事でも渋々はたらいている人が大勢います。この、「食べていくために」安い仕事で我慢している人の存在が実は大きなネックで、今の待遇ではたらく人がいる以上、労働単価は上がりません。

現在はとにかく、「こうあるべき」という妄想に意味もなく囚われている人が多い世の中です。しかし、決まったオフィスではたらき、毎日決まった家に帰らなければ生きていけない、ということは一切ないはず。僕自身、もう長いことそうした生活とは無縁です。

例えばコンビニやスーパーのレジにしても、不満が出るような安い時給でもその仕事を選ぶ人が大勢いるから、一向に全体的な機械化が進まないわけです。不満のある仕事を選ぶ人がいなければ、その仕事の労働単価は上がり、どこかで人件費が機械化のためのシステム開発コストを超えます。そうなれば、不満を言いながらはたらいていた人たちが別の仕事に就くことができ、本当の意味ではたらいて笑う人はもっと増えるでしょう。

仕事観も家族観も、すべてにおいてもっと合理的に自分を解放することができれば、人はもっと楽しく生きられるはずなのですが。

「他人の時間」ではなく「自分の時間」を生きる
僕はあまり、はたらきながら笑うタイプではありませんが、面白いことをやろうという意識は常に持っています。

そのプロセスにおいて壁に行き当たり、つまらない思いを強いられてイライラすることもありますが、それを解決するところまで含めて、最終的に楽しめればそれでいいと思っています。

大切なのは「他人の時間」を生かされるのではなく、「自分の時間」を生きることの意識化でしょう。営業マンの無駄話に付き合わされている時、人は「他人の時間」を生きていることになります。逆に、大好きな仲間と飲みに行く時は、人は「自分の時間」を生きているのです。
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