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全て一人でやると言う付加価値(マルクスの疎外について)

全て一人で作り上げると言う付加価値

付加価値の付け方として、全てを一人でやったと言うのはどれほどの価値を持つのだろうか。

今の世の中で全て一人で作り上げられたものというものは少ないです。

ある程度の漫画ではアシスタントがつくものだし、大物youtuberになれば、アシスタントもつくわけです。

全てを一人でこなしていくとなれば大変な難易度と作業量が求められるでしょう。

しかし、中には本当に一人でなんでもやってしまうという方がいます。

例を出すと、東方プロジェクトを作り出したZUN氏ですね。

 彼はゲームを1人で作っているのです。絵からストーリー、設定。プログラミング、音楽まで全て1人でこなしているのです。

はっきり言って天才です。

 「天は二物を与えず」なんて言いますが、まるっきり嘘だというのがわかりますね。

私は音楽とプログラミングに関しては挫折しました。

独学でやるのは難しかったです。

 

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全て一人でやるだけで付加価値は生まれるのか?

これを一人で作ってしまうなんて凄い…

とは確実になるでしょうね。

しかし、我々は日夜組織が最大限の力を払って作っているものやサービスに囲まれて暮らしています。

そんな中でそこらへんのただの人間が作り出したものに価値を見出す人はいるのでしょうか。

 真っ向から勝負するのは難しい様に思えます。

何かしらのブランド力、個性というものが必要になってくるのかもしれません。

選択肢がない場合

 一人でやるしかない。

人脈もなければ、金もないそんな状況であれば全て一人でやらざるを得ません。

なので、何でも一人でやるしかありません。

始めは1人から始める場合は多いと思います。そこから人気が出れば、どんどん拡大していき、アウトソーシングできる様になります。だから、始めは辛くとも人気さえ出てしまえばそのあとは非常に楽になるのです。

始めの成果が出るまでの間は本当に辛い。しかし、それを乗り越えることができて「始めて好きなことで生きていく」が実現するのです。

一人でやることの意味

誰にも迷惑をかけないことだと思います。

それこそ、自己満足でいいんです。

人生意味なんてありませんから、自己満足でいいじゃありませんか。 

 だからこそ何かを犠牲にすることができるし、突き進むことができる。他人に迷惑はかけたくないけど、好きなことで生きていきたいと考えている人は一人で全て作り出した方が良いのかもしれません。

マルクスの疎外

マルクスは「 資本主義における賃金労働では疎外が発生している」と主張しています。

疎外とはなにか?

経済学・哲学草稿の中でマルクスは4つの疎外を指摘しています。

  1. 労働生産物からの疎外
  2. やりがいからの疎外
  3. 類的疎外
  4. 他人からの疎外

  

1つ目は、労働生産物からの疎外。

賃金労働性では労働者が自分で作った商品は、全て資本家のものになってしまいます。

こうして労働者は頑張って労働してもその成果は全て資本家の価値を高めるだけで、労働者は頑張れば頑張るほどに自らの価値が相対的に下がっていってしまうのです。

本来自分で作った労働の成果は自分のものであるはずなのに、それが自分から離れて、逆に自分を縛り、貶める。つまりここに疎外が発生しているのです。

キングコング西野さんの絵本に描いた人たちの名前が絵本には載せられず、批判を浴びたことがあります。

労働者としては嫌な気持ちになりますよね。自分が一生懸命描いた絵なのに、西野さんのものになってしまったのですから。私ならやっぱり自分が頑張った成果を他人に認めてもらいたといと思いますよ。

それが、この一つ目の疎外に当たります。


2つ目は労働に対するやりがいからの疎外。

労働中の労働者はたいていの場合、苦痛や退屈さを覚え、自由が抑圧された状態にあります。

アダム・スミスをはじめとした古典派経済学者は「労働は退屈で人間にとってさけるべきもの」という考えに疑いをもつことはありませんでした。

しかしマルクスはこれとは逆に。「労働(lavor)というのは本来、人間にとって創造的な活動(work)である」と考え、これが賃金労働制によってゆがめられていると言ったのでした。

人間は労働をしている間、自己を感じることができず、労役から解き放たれてはじめて独立した自分となることが出来るようになる。

つまり、ロボットの様に働かされているということです。

これは労働からの疎外が起きているからこそなのです。


3つ目は類的疎外になります。

類的疎外とは、人間は類的存在であるというのがまず前提にあります。マルクスにおける、類的存在とは、人間が動物とは違い労働を通じて自己を表現することが出来る生き物であるということです。にも関わらず、現在の我々の労働はただただ苦しいだけ。

これは私たちが類として疎外されているからなのです。


4つ目は人間(他人)からの疎外。資本主義では労働者は労働者として振る舞うことを強制されます。疎外が起きていなかったのなら、人間は自分の労働によって生まれた生産物を他人に与えることにより幸福を感じ、またそこに自己実現を覚えます。

しかし社会的分業が極地に達している資本主義社会では、市場に並ぶのは一人の人間が作った労働生産物としての意味はなくなり、単なる貨幣で価値を量るだけの商品になります。

こうなると人間の興味はどれだけ短い労働で、どれだけ安く商品を買えるかだけになり、それぞれの人間が利益を対立させるのです。こうして対立した人間達は、お互いに疎外された存在となります。


以上をまとめると「資本主義社会では労働の疎外を発生させる」というのがマルクスの主張です。


マルクスの理論によれば、「賃金労働制がない共産主義社会であれば労働の疎外は発生しない。各自が自由意志に基づいた創造的な労働だけ」になるはずです。

ソ連は崩壊したことからもわかる様にソ連型の社会主義は失敗したのです。

しかし、マルクスの言いたかったことは今資本主義が成熟し限界に達しようとしている世の中でヒントをくれている様にも感じます。

 

 


今の日本でも間違いなく労働の疎外は発生しています。退屈でつまらない 苦痛のような仕事に私たちは毎日耐えています。

一人で全てやるというのはこれらの疎外を受けないと言えます。

結論

出来れば他者と協力もしくは請け負ってもらう方が良いが、信用がない状態であれば、一人でやるしかない。

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